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言葉にすること

彼が亡くなる1週間ほど前、

突然、『大好きだ』と、ラインが届いた。

好きだ愛してるだなんて、普段絶対言わないから、初めは飲み会かなんかで彼の友達が面白がって送ってきたのだろうと思った。

『何か変なものでも食べましたか』

私は、可愛げゼロな返信をしていた。

アニサキスにやられたかも』

そんな返信とともに、私が買って行ったサバのおつまみとウーロンハイらしきジョッキの写真を送ってきた。

『お前は?』そう聞かれ、私はまたもや可愛げのない返答をしていた。私も普段好きだ愛してるだの絶対に言わない。

ちなみに彼は私をお前とは呼びません。私の名前を呼び捨てです。

次の日、彼から『昨日の恥ずかしいラインは消しておいてください』とラインが来ていた。

なんだか様子がおかしいことなんて、今考えれば分かることなのに、私は浮かれていた。

なんであの時、私も大好きだよ!あなたのことを心の底から大事に思っているんだってことを言葉にしてきちんと伝えなかったんだろう。

彼が自分自身に対して自信を失ってしまっていることに、だからこそ私に気持ちを伝え返ってくることを望んでいたことに、なぜ気づかなかったんだろう。

そうやって、少しずつでも思い返すと彼らしくない言動が1ヶ月くらいの間にたくさんあった。

それでも、またすぐいつもの彼に戻るから気に留めていなかった。自分の呑気さに呆れる。

人は表面だけでは分からない。鬱の人ってそう見えない人が多い。そう見せないようにしてしまう人が多い気がする。それも真面目がゆえ、他人に気を使ってしまうのだと思う。

そして、誰かと一緒にいるときは平気なんだ。いたって普通だし楽しいと感じれる。1人になったとき、一気に不安の波が押し寄せてくる。

彼もそうだったのだろう。

声に出して、助けて辛い!って言っていい。誰も甘えなんて思わないよ。

死にたい!って思うのは生きようと必死だから。死にたいと思ってしまうのは生きたいと思う気持ちの裏返しなんだ。そう思う自分を責めないでほしい。

逃げ出したくなる自分を責めないでほしい。

全部が自分の心の叫びだから、心の声を無視して走り続けないでください。

あなたを失う苦しみに比べたら、そのくらい全然みんな余裕で受け止めるから。

もっと甘えていいよ。もっと泣いていいよ。もっと叫んでいいし、もっともっと人に八つ当たりしていい、人のせいにしちゃえばいい。

そのままのあなたでいい。

支える側の気持ち

立場によって苦しみや辛さは違う。

例え立場は同じでも人によって感じ方も違う。

私は先立たれ遺された立場。

自分の苦しみ辛さはわかるけど、私を支える家族のそれぞれの苦しみ辛さはわからない。

 

彼と私の妹と妹の旦那と四人で食事をしたことがある。

妹には歴代彼氏を大体紹介してきた。

彼は無口な人で、おべっかが苦手なタイプだったから、同じく無口な妹は彼とは合わないんじゃないかなーと思ったりしていた。

そんな妹が食事の後、

『お姉ちゃん、私、あの人にお兄さんになってほしい。すごくかっこいい人だ』と言った。

お世辞にも彼は世に言うイケメンなタイプではない。妹と会話をしたのもほんの二言三言だ。

『お姉ちゃんのことを本当に大事にしているのがすごく伝わってきた』らしい。

妹の見解が全てではないけど、その言葉を聞いて私はとても幸せな気分になった。

彼がいなくなったとき、妹は妊娠していた。ショックを受けてお腹の子どもに影響したらダメだと思い、無事に生まれるまで妹には彼が亡くなったことを言えなかった。

子どもが生まれて少ししてから、母親が伝えたらしい。

その時妹は驚くほど泣いたそうだ。

お姉ちゃんがかわいそうだと。

『彼のことはとても素敵な方だったと思う。こんなことを言うとお姉ちゃんは怒るかもしれないけれど、今、私は彼に対して怒りの気持ちが出てきてしまう。なんでお姉ちゃんに辛い思いをさせるんだ。』そう言いながら、号泣したと聞いた。

それが私側の家族のひとつの想いなのだろう。

当時それを聞いてどう思ったかは忘れた。しかし、私が妹の立場でも同じような気持ちになるかもしれない。

大切な人を自死という形で亡くした側。それを支える側。

支える側の人は、何も言わないでほしい。優しさだと思って発するその言葉が遺された側の傷をえぐる場合もある。何も言わず、ただ、いつでも話を聞くよというスタンスでいてほしいと思う。でも、周りも周りで、早く元気になってほしいと思うだろう。なかなか難しい問題だと思う。

今でこそ、多少冷静に考えれたりするが、やはり傷つくことはたくさんある。家族はいつまでも過去にとどまって欲しくないと思っているから当然なのだけど、ワガママかもしれないけれど、もう少し理解をしてほしいと思う。

気持ちを分かれとはもう言わない。ただ、腫れ物を触るような扱いも嫌だし、普通にされたらされたで彼のことを忘れられたような気持ちになってしまうのだ。

遺された側には支える側の気持ちまで考える余裕なんかない。そこまで器用に考え接することができればいいのだろうけど、できないんだよ。

親でさえ、祖母でさえ、自死という形で大切な人を亡くした経験がないわけだから、我が娘、孫にどう接すればいいのか分からないと言った感じだ。

ただ、ほんの少しもう少しだけ、複雑なこの思いを理解してほしいと思ってしまう。

朱に交われば赤くなる

田舎に帰省して9日目。

朝5時に目が冷め、散歩がてらコンビニまで歩く。

空を見上げたら星がたくさんすぎて、気持ち悪かったです。

人は死んだら星になるって誰が言い出したんだろう。

死人、めちゃくちゃ田舎に集まるやんけ。

そして、思う。田舎の人ってゆっくりだなぁと。コンビニの店員さんや飲食店の店員さんにイライラしてしまう。遅い。要領悪い。態度悪い。

でも、それは、都会と比べた場合であって、田舎に住む人たちはそんなもんでしょって言う。

 

朱に交われば赤くなる

 

彼が置かれた環境は私から見たら、過酷な環境だったと思う。それは、彼の性格を考えればの話なんだけど。彼はとても真面目で優しく責任感の強い人格の人だったと私は思う。

そんな彼にとって、彼が選んだ仕事はとてつもなく精神を蝕む仕事だったと思う。

最後の方はずっと仕事を辞めたいと、職場に対する不満や愚痴を言っていた。

『もし俺が仕事をやめてお前の地元で暮らそうって言ったらどうする?』と、聞かれた時、私は嬉しかった。本当はずっと辞めてほしいと思っていたから。その言葉は飲み込んで、気持ちだけを伝えた。

『とても嬉しいよ』って。

そうしたら、『嬉しいと言ってくれて、俺も嬉しい』って言った。

自分の身を置く環境は多かれ少なかれ大事だと思う。どんな環境、どんな仕事でも、理想郷なんてないけれど、自分の性格に合った場所が必ずあるはず。精神を蝕むまで仕事なんて頑張らなくていい。

朱に交われば赤くなる。

上手く赤くなる人もいれば赤くなりすぎて飲み込まれてしまう人だっていると思う。

真面目すぎる人ほど、責任感が強い人ほど、赤くならなきゃと自分を追い込んでしまうんだ。

自分を追い込むのに限界はない。どこまでもどこまでもこれでもかと追い詰めてしまう。

私は仕事を辞めて現在無職だ。そしてそれを責める人は周りにいない。

彼の場合、仕事に対して責任感が強すぎて真面目すぎて、自分が辞めた後の会社のことまで考えたり、自分が引き込んでしまった友達のことも考えたりしていたようだった。

だから、有無を言われないように私の地元に行きたかったのかもしれない。

私も、仕事を辞めた後、変な罪悪感に苛まれた。私も彼と同じで取捨選択が苦手だから、飲み込まれないようにしないといけない。

それから、仕事なんて辞めたきゃ辞めていいんだよってそんな風潮が広がっていけばいいのにって心からそう思う。

祖母の涙

地元に帰って、おばあちゃんと色々と普通に楽しく話をしてたら、突然おばあちゃんが泣き出した。

おばあちゃんが泣いたのを見るのは初めてだった。おじいちゃんが死んだ時も泣いてなかったのに。

おばあちゃんが私を抱きしめてきた。

『あんたは私のかわいいかわいい大事な孫なんだ、早く元気になってほしい』

そう言って泣いた。

ごめんなさいの気持ちが溢れて苦しくなったけど、なんでいきなりおばあちゃんが泣き出したのかわからない。

無理してるように見えたのかな。どうすればいいんだろう。私が彼の話をしてしまったからかな。

おばあちゃんは言う。

『もう自分を責めないで、自分で自分を苦しめるのはやめてほしい。』

私は思う。

(自分を責めて苦しめてるつもりじゃないんだよ。私は私で精一杯生きてるつもりなんだよ。)

おばあちゃんは言う。

『お母さんのことも許してあげてほしい』

私は思う。

(許せないのはお母さんじゃないんだよ。私自身なんだよ。)

私の家族だから、私のおばあちゃんだから、私がいちばん大事なのは分かるんだけど、私が大事に思う人のことも同じくらい大事に思ってほしいだけなんだよ。

死後の世界

彼はどこに行ったんだろう。今どこにいるんだろう。死後の世界がどうなってるのか知りたい。スピリチュアルなんか信じないのに、スピリチュアルに縋った考え方をした時期もあった。

死後の世界というものがあるのだとしたら、自ら命を絶った彼は一体どこにいるんだろうと。

天国なのか地獄なのか。

生きてる間、たくさん苦しんだんだから、天国にいるはず。

死んだ人がどこにいるかなんて分かるわけもないし、考えたところで何になるのって思うようなことでも、知りたくて知りたくて仕方がなかった。

苦しみを選ぶ「勇敢な魂」

という本に出会った。

購入はせずに、あらすじと口コミだけ見てなんとなく内容は把握した。

その本の内容としては

人は、生まれる前に魂同士で会話をしている。そして、役どころを決めてこの世に生まれ落ちるというようなもの。その魂同士の会議の様子が書かれているような感じだったと思う。

殺人犯になる側も殺される側も、役柄として魂同士が話し合ってお互い納得して生まれ落ちているというのだ。

そんなバカな。。って感じだけど、なぜかその時の私にはものすごく響いてきた。

彼と私も、生まれる前にそうゆう会議を交わしてたのだろうかって思った。

俺は苦しんだ末に自死を選ぶ。だからお前はそれを受け止める魂として生まれ落ちてくれ。お互いに、それぞれの苦しみを今回の人生では学ぼう。』みたいな。

だから、その役柄を買って出てる魂は、その魂はとても勇敢な魂なのだと言うお話。

苦しんでる人に対して、あなたの魂はとても勇敢な魂なのですよと言うお話。

輪廻転生ありきの話なのだけど、私はスピリチュアル的なそれは信じないけど、輪廻転生は信じている。

なぜか、その本を見つけた時は、スッと心が少し軽くなった気がする。

5年経った今は、運命は変えれないってことじゃん、そんなの信じるかボケというような捻くれた考えになりましたけど。

でもきっと、運命は変えれないとかそうゆう絶望的な話としてではなく、起こってしまった現実を受け止めやすくするための本なのかなぁって思ったりした。

未来のことを考えた時は運命は変えられると思った方がいいし、過去に起きたことを嘆きたい時は、元々決まっていたことなんだと受け入れた方が納得もできる。

だけど、やっぱりこう思うよ。

苦しいもんは苦しい。

辛いもんは辛い。

魂なんか勇敢じゃなくていいわ。弱い魂でいいわ。

彼は今どこにいるんだろう。私が輪廻転生を信じたいのは、彼が今、どこかで生まれ変わって笑っててくれたらいいなと思うし、なんなら、私の近くに生まれてきてくれないかなって、少しだけ、思うから。

でも、例えそうだとしても、、

彼という人間にはもう二度と会えません。

周りは、私のことを病んでる病んでると言うけど、病んでるんじゃない。

愛する人自死という形で亡くして、まともでいれてる人の方が私は病んでると思う。

彼の死があったからこそ、今の私がいます!彼に感謝!とかも今の私には理解できない。その人なりの乗り越え方だとは思う。人それぞれ違うから。否定はしないけど理解不能

ちょっと言いすぎたけど、このまま投稿します。私のリアルな気持ちだから。

天国にいるとしたら、今の私を見た彼はどう思うかなって考えると

お前らしいなって言うと思う。

出生前診断

突然、彼が出生前診断についてどう思うかを私に訪ねてきたことがあった。

彼がいなくなってしまう2ヶ月くらい前のことだったと思う。

私は突然の質問の意図が分からず、どうゆうこと??と聞き返した。

子どもができたら出世前診断をすることに賛成か反対か、診断したとして子どもの遺伝子に何かしらの問題があった場合、産むか産まないか、ということだった。

私はそんなことを考えたことがなかったので、彼からのその質問にとても驚いた。

私は考えがまとまらないまま、彼に返答した。

もし、出生前診断をしたとして、子どもの遺伝子に何らかの問題があると分かったとして、私は、それを理由に中絶を決めることはできないと思う。

そう答えた。

彼は、うーん、、と唸った。そして、こう言ったのだ。

『それで生まれてきた子どもは幸せなのかな?』

私は、彼のその言葉の意味が分からなくて、また更に聞いた。どうゆう意味?と。

『親はダウン症の子どもを見て、その子がいつも笑ってるからって幸せだって言うけどさ、それって親のエゴじゃね?子どもがどう感じているかなんて、分かるわけないじゃん』

彼はそんなことを言った。

それが私には物凄く冷たい物言いに聞こえてしまって、

『そんなことわたしにも分からんよ。』

と、シャットダウンしてしまった。

 

彼は、本当は、何が言いたかったんだろう。

 

彼がいなくなってから考えた。

私は、親目線で考えてたけど、彼は生まれてきた子ども目線で考えていたのかな。

子どもが健康で生まれてこようがそうじゃなかろうが、結局、子どもを産むという行為自体が親のエゴなのではないだろうかって言いたかったのかなぁって。

彼は、生まれてきたことを後悔していたのかなぁ。生まれなきゃよかったって、そう思ってしまってたのかな。

なんでその時にもっと掘り下げて彼とそのことについて話をしなかったんだろうと思う。


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出生前診断、受けますか? 納得のいく「決断」のためにできること (健康ライブラリー) [ NHKスペシャル取材班 ]

歳をとるということ

歳をとるごとに、丸くなったり涙脆くなったりするといいますよね。

 

穏やかになるというのは

経験から物事への対応に耐性ができてくるのでしょうか?

涙もろくなるというのは

経験から他人の痛みに感情移入しやすくなるからでしょうか?

怒りには強くなるのに、悲しみには弱くなってしまうのでしょうか。

うまく表現できませんが、不思議ですね。難しいなぁって思います。

 

私はどうなんだろう。

物事によっては、怒りやすくなっていて涙もろくなっている気もするし、怒りにくくなっていて全く泣けなかったりもします。

 

自分がどんどん冷たい人間になっていくような気もします。

 

自分では、深く深く掘り下げて考えてるつもりでも、側からみれば、実はものすごく浅いところでジタバタと泳いでいるのかもしれません。

 

歳をとると、喜怒哀楽の怒には耐性ができるけど哀には弱くなってしまうのなら、他人にとってはいいことだけど自分にとってはとても辛くない?

 

怒りは感情の蓋というのであれば、テレビやネットで見かける電車や街中で大声で怒りまくってるあの人たちは、もしかしたら、心に大きな大きな哀しみを抱えてるのかな。

 

哀しみをもっとうまく表現することができれば良いのかな。でも、表現したところで怒りも悲しみも周りは困るよね。うちに閉じ込めているのも精神衛生上良くないと言われるし。自分の中にある感情とうまく向き合って付き合っていくのって私にとってはすごく難しいのですけど、、みんなどうしているんだろう?

悲しみは抱きしめて寄り添って、怒りの感情も認めて許してあげることができれば、もっと楽になれるのかなぁ。

 

あーーー分からない分からない。

自分が何を言ってるのか、分からない笑

 

90歳になった私の祖母。私の大好きな尊敬する人。彼女はやっぱりすごいや。

いい意味でも悪い意味でも物凄く素直。

人は歳をとるごとにどんどん子どもに戻っていくって聞いたことあるけれど、

歳を重ねてからの素直さと、子どもの素直さってちょっと違うと思うんですよね。

私はどんどん捻くれていく。


九十歳。何がめでたい [ 佐藤 愛子 ]