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生きることの難しさと死ぬことの難しさ

私宛の遺書に綴られてた彼の言葉の一部

 

色々と考えた上で、生きることをやめることにした

 

死ぬことにした。ではなく、

生きることをやめる。という表現をした彼。

 

完璧主義な彼には珍しく誤字脱字があったりして、手が震えるから字が書けないと、封筒の宛名以外はパソコンで作成されてた。

 

封筒に書かれた私の名前だけが彼の文字。

 

生きることをやめる決断をするのって、それほどまでに追い詰められるって、どれほど苦しかったんだろうって思う。

鬱はそうゆう病気だって言われても、日本はうつ病大国で自殺大国だと言われても、鬱病になった人全員が死んでるわけじゃない。

そもそも、私は彼から自分は鬱病だと聞かされてたわけじゃない。

正確には、昔、鬱病だったけど自力で治したんだって聞いたことはあった。自力で治るんだーなんて思ってた。私、馬鹿すぎ無知すぎ。

 

彼の気持ちが知りたかった。少しでも彼の気持ちに近づきたかった。

 

自殺未遂をした人の体験談なんかも読んだけど、みんな今生きてるからその体験談も書けるわけで。

 

その時の私は、本当に言葉でどう表現したらいいかわからないくらい、これから先生きてて、これ以上の苦しみを味わうことなんてないんじゃないかってくらい、地獄の底だった。

 

食べることも寝ることも出来ず、意識朦朧の中、苦しみだけが続く毎日。

 

死にたいと思った。消えたいと思った。

実際、何度か試した。

でも、私は死ねなかった。

怖かった。すごく怖かった。

 

首吊りって難しいんだよ。ロープを輪っかにしてドアノブに引っ掛けて更に上に通して首にかける。台から足を離しても、首が上を向いてしまって落ちちゃう。首がすごく痛くて反射的に上を向いてしまう。

 

カミソリで腕の脈を切るアレ。あれは、全然死ねないよ。意識ぶっ飛んでるから痛みは感じなかったけど、そんなに切れない。あとで調べたら、腕を切り落とすくらいの勢いじゃないと死ねないらしい。

 

包丁を喉元に持っていってひと突き、絶対無理。怖すぎた。

 

眠剤オーバードーズは普通に目が覚めた。

 

どれもこれも、ドラマみたいにはできん

 

夜中、大通りで車道に飛び出してしゃがみこんだ時は、自転車に乗った通りすがりの人に両脇抱えられ引きずられながら歩道の方へ連れて行かれたりもした。今思えば、あの人、すばらしい方だな。ていうか、そもそもそんな死に方、車運転してる人に多大なる迷惑行為どころじゃない。最低、何してたんだろ。

 

彼は、誰にも迷惑をかけずに一番後処理にお金もかからない方法でいなくなった。綺麗に髭まで剃ってさ、高級ブランドのスーツまで新調してさ、それに身を包んで。ナルシストかよ。なんなんだよ。

 

彼と同じ場所同じ方法も考えたけど、正直そんな気力も労力もなかった。めんどくさすぎる。そのくらい、用意周到で相当念入りだった。

 

自殺って後処理に遺族が莫大なお金を請求されることが大半らしい。

 

どこまで完璧主義なのか。完全犯罪すぎて驚く。

 

私、本当に死にたいって思ってた。でも、さぁ死ぬぞって、めちゃくちゃ怖いよ。まずその恐怖に打ち勝てない。打ち勝つ必要なんてないんだけど。こんなに苦しいのになんで私は死ねないんだろうとそんな自分を責めたりして。

死を前にした恐怖も凌駕するくらい、生きることをやめたかった?それともその恐怖さえ感じれないくらい生きてるのが辛かった?恐怖で手が震えてたから字が書けなかったのかな。

 

私はただ、彼の気持ちに近づきたかっただけ。どれほどの苦しみを味わえば彼と同じ境地に行けるんだろうって思ってた。彼が苦しんでたのと同じ分くらい自分も苦しみたかった。まだまだダメだ。彼はもっともっと苦しんだんだ。どれだけ苦しかったの、あなたを失ったこの苦しみ以上の苦しみだって言うの?だって、今、私は生きることができてる。生きるのをやめようとしても、やめる勇気さえない。

 

生きることをやめることにした

 

彼は死を選択したんじゃない

生きることをやめる選択をしただけ

でもね、でもね、

どちらも選択しない

って方法もあったかもしれないよ。

 

友達ってなんだろう

他人は好き勝手なこと言ってきます。自分の心が拒否する話は聞き入れないで下さいね。

『いつでも話聞くから遠慮なく連絡してきてね。』

なんて言われても、しすぎない方がいいです。本当にそう思ってくれてる人って少ないですから。

その言葉には、

(私に余裕があって私が幸せで私が眠ってない時に限る、話聞いてあげるけど、私のアドバイス通りに動いてね、反発するのはなしね、あ、あと、あまりにしつこいのはやめてね、友達のために動いてる自分ってステキ)

というのが隠れている可能性があります。

もちろん、そうじゃない人もたくさんいると思うけど、見極めないと自分が傷つくよってこと。

私、それである女友達に、電車のホームで突き飛ばされてこう言われましたから。

『いつまでも悲劇のヒロインぶってんじゃねーよ!』

尻餅つきながら、開いた口、塞がらないとはこのことかと。

でも、そのくらい我慢して話聞いてくれてたんでしょうね。ウザかったんでしょうね、泣きながら何度も何度も彼の話をして私も死にたいとか言ってたからさ。

 

外でなよ、何か美味しいもの食べようよって、全く食欲もなく外に出る気力もなかった私を連れ出したの、その子ですけどね。

私まだ彼を失ってから半年も経ってない頃でしたけどね。

お酒飲みたくないと言ってる私に飲ませたの誰だよ。

 

でも、その時の私は、意識も思考回路もぶっとんでましたから、必死で泣きながら謝りましたよね。

次の日も長文の謝罪ラインを送りましたよね。

 

たくさん話聞いてくれたのに、たくさん励ましてくれたのに、ずっとマイナスな発言ばかりしちゃって、ごめんなさい。気分悪かったよね、あなたが怒るのも当たり前だよね、ごめんね、ごめんなさい。

って。

そのラインは無視され、電話も拒否され、そのまま疎遠です。ちなみにその人、私より10歳も年上の一児の母親です。

 

私は悲劇のヒロインぶってたのでしょうか?

悲劇のヒロインってどんなのか知らないんだけど、、

そして私は、更に自分を責める負のループに陥ることになりました。誰にも何も言えなくなりました。彼女を怒らせてしまったことにひどくひどく恐怖を感じました。

 

今はこう思うよ。

私、かわいそう。

 

お前の自尊心埋めるための道具かよ私は。

お前が望む通りに、

あなたのおかげで元気になれたよ!本当にありがとう!

って言っときゃよかったんか、私は。

お前みたいなん友達でもなんでもねーや。

さようなら、おまえ。

 

彼を失ったことで、嫌な言い方ですけど友達をふるいにかけれた気がします。

私がどれだけ暴言はこうが泣き喚こうがめちゃくちゃになろうが、今でも仲良くしてくれるあなたやあなたやあなた、本当に本当にありがとう。

未だに仲良くしてくれてる別の友達に、その時の私に対して、ムカつかなかったのか、嫌じゃなかったのか、呆れなかったのか、時が経ってから聞いてみたらさ、

『だってあなたの本質知ってるもん』

だって。

 

友達めちゃくちゃ減ったけど、いいんだよ。

私、友達ほとんどいないよ!って、胸張って言える自分が少し誇らしいです。

 

 

 

分かり合うって難しい

今改めて考えてみると、私って彼のことを何も知らなかったんだなぁって思います。

いなくなってから知った事実がたくさんありすぎて。

生きてる人だって、どれだけ会話を重ねても分からないことってたくさんありますよね。側にいるからって、全てを晒け出せる相手ってなかなかいないよなぁって思うから、いいんですけどね。

なんなら、私は自分のことさえよく分ってないです。

理解してもらおうなんてエゴですよね

理解してあげようなんて傲慢ですよね

分かってるけど、やっぱり私は理解してもらいたかったり、理解してあげたかったりしてしまうんですよね。

他人との関わりの中で、完璧に、完全に、相手と自分が分かり合えることなんて、例え生きてても無理だと思う。

死んだ人なんて余計に分からなくて当たり前ですよね。

でも考えてしまう。彼は、どんな人間だったんだろうって。

5年間一緒にいたけど、たった5年だもん。私は彼の表面的な部分しか見てなかったのかなって思うと、ごめんなさいって、思う。

だって、私は彼の嫌なところなんてなかったから。周りから見ればマイナスになるような彼の一面も、全部が愛おしかったし、全部含めて大切な彼の一部だった。

喧嘩なんか、したことなかった。

私が何をしたって、彼は怒ったことなんてなかった。嫌な顔することもなかった。いつも全部全部、受け止めてくれてた。

彼に対してだけはどんな時でも素直な自分で、自然体な自分で、強がることも疑うことも不安になることもなく、ただただ、穏やかな気持ちで過ごせてた。

熱烈に大好き!という感情もなかったけど、ただただ、一緒にいる空間が本当に幸せだった。

 

そう思えば思うほど私は彼に何かを与えることができてたんだろうかと苦しくなる。

気づくことができなかった自分を責めて、彼の生きる希望にはなれなかったんだな、なんて傲慢なこと考えて。

 

私と彼は正反対みたいな人間に見えて、根本的には似てたのかもしれないって思ったりもする。

私が一時期、トラウマを抱えて心を病んでしまった友達からの連絡に悩んでたとき、彼に言われたことがある。

『君は、他人のマイナスの感情を受け止めすぎて、自分に取り込んでしまう。だから、そうゆう人間とは関わっちゃダメ。君の方が病んでしまう。一生面倒を見るくらいの覚悟がないのであれば、その友達とは縁を切ってほしい。』それが、私の言動を一度も否定したことがなかった彼が唯一、私の行動を制限した時だった。

 

私は、自分以上に自分という人間を理解して守ってくれる人を失ったんだなって思う。

 

矛盾まみれの無限ループ

当時、男友達に言われました

『本当に守りたくて大切な人がいるのなら、男なら、そんな人を残して死ねない。お前のことはその程度の気持ちだったんだよ。』

あーーーーーーー!わーーーーーーー!

耳を塞いで即ブロックした

 

分かってます。分かってます。この男友達だって、私を励まそうと必死でした。

それでもその当時の私の心は、拒否したのです、この言葉を、この人を。

 

今なら受け止められます。相手は相手で私に自責の念を抱かせないために言ったんだろうなって、理解できます。そして今の私なら言いかえします。そんなことないって。いや、言い返せない。答えを聞けない今、その可能性ってゼロじゃないですから。でもね、もし、百億歩譲って、私に対してはそんな気持ちだったとしてもね、大切な人がいたって、守るべきものがあったって、それとこれとは別なんだと思います。

 

どれほど大切な人がいても、どれだけ周りから大事にされてると痛感しても、そんなことは関係なく死を考えてしまう病気です。脳の病気です。

 

もしかして、それさえも遺された側が自分たちを守るための言い訳なのかな。なんて考え出した日には無限ループにはまります。

 

なんで気づかなかったの?おかしな様子はなかったの?と言われたりもした。

 

振り返ればってことは、そりゃあたくさんありました。でも、そんなの、全部全部、後付けの上乗せのこじつけです。

 

私は私が悪いって思ってるよ、ずっとずっと、自責の念に押し潰されながら生きてるよ。

うつ病というのは死にたくなる病なんだって、多少理解してきた今だって、そう考えてしまうんだよ。

 

私の親が結婚に反対しなければ違った?

親への挨拶、来月じゃなくて今月にしとけば違った?

彼が望んでた田舎での暮らし、半年後とか言わずに今日から!ってしとけばよかった?

私があの時、泣いてしまったから?

本当は私と別れたかった?

本当の本当は私のことが憎かった?

もしかして、私に死んで欲しかった?

 

わけわからないところまで考えましたよ。

タラレバ言ったって仕方ないって散々言われたけど、止められなかった。

答えの出ない答えを求め続けたよ。

 

何度もラインのやりとり読み返して、暗記するほど遺書読み返して、しまいにはスピリチュアルの本なんかも読んじゃったよ。

 

どこにも答えなんてなかったよ

これからも一生見つからないよ

 

唯一答えを知る本人、いないんだから。

というか、きっと、多分、本人でさえ、これだという決定的な理由なんて分かってないよ。

 

原因が分かってるなら、そこを排除すればいいんだもん。色々排除しても心が晴れなくて、結果として、その原因を自分自身として突き詰めて、自分を責めて、、

彼は真面目すぎて優しすぎたから。その上、完璧主義者でカッコつけマン。

 

とは言え、私や彼を取り巻く環境にも問題はあったんだと思います。自殺の原因ってコレってものはなく、色々なことが複合的に絡まり合ってるんだって何かに書かれてた。

 

環境的要因と、本人の性格的要因と、脳みそのなんのかがどうとかいう要因と。それこそ色んなことが絡まり合って糸がぐっちゃぐちゃにもつれて、解けなくなってしまった。

 

今まで全部一人で抱え込んできたものを、最後の最後にドバッと一気に私や周りに投げて、みんなに甘えた。生きてる時、誰にも甘えることがなかったもんね、それはもう今までの分もまとめて受け止めます。

とても残酷な辛い現実を、お前らなら受け止めてくれるよね、理解してくれるよねって。わざわざ遺書を残したのも、俺のこと、忘れないでね、ずっと愛し続けてねって。そうゆうことでしょう?

全て希望的観測というか勝手な憶測だけど、私はさ、これからも生きてかなきゃいけないからさ、もう、自分で勝手にストーリー創り上げて、それを信じて納得するしかないじゃない。

私が勝手に考えるんだから、そりゃ私が主役の台本だよ。

 

あ、その台本って何冊もあるし毎日コロコロストーリー変わるからね。今日は私が全て受け止めるねという結末のストーリー。なんで私が受け止めなきゃいけないの的ストーリーもあるよ。

 

勝手に落とし所を見つけて、でもその落とし所は、その時々でコロコロ変わって。でもそれでいい。自分がその時、一番楽になれる理由を作って、それを信じてたらいい。言い聞かせて、誤魔化すしかない。その繰り返し。

 

生きてる間、誰に対しても優しく温厚だった彼は、死をもって私や家族や友達を傷つけた。

でも、それ以上に自分自身を傷つけ続けてた。

私なんかの今の苦しみ悲しみ以上に、彼はずっとずっと、苦しかったんだと思う、真面目すぎて優しすぎる彼だから、自分自身を責めて追い詰めていじめて、、そして自ら自分をこの世から消した。

 

そして誰も彼を止めれなかった。

 

それは現実。

 

今の私の現実だって、彼のせいなんかじゃない。私が生きてきて蓄積されてきたもの。彼のせいにはしたくない。そう思うのに、心のどこかで彼を恨んでしまう気持ちがあることも事実です。矛盾まみれ。

 

だってさ、もし今彼が生き返って、面と向かって死ぬ理由を述べてきたとしても、きっと納得なんかできないもんね。

 

こんなことを、ぐるぐるぐるぐる考えれる私って、、なんだよ、元気いっぱいな人間じゃないか。

生きたくても生きれない人もいる

世の中には、生きたくても生きれない人だっているんだよ!

 

題したこの言葉も、耳が腐るほど言われました。

そりゃその通りですと思いますよ。

 

だけど、私は、この言葉を発する人が嫌いです。

 

最近、私が10年以上仲良くしてもらってるご夫婦に紹介されて、そのご夫婦共々よくお酒を酌み交わすようになった方がいます。

 

その方は余命宣告されているガン患者さんです。

少し前まで人工肛門でした。指先は真っ黒。

そして、またもう少ししたら入院することが決まっています。

 

だからなんだと言わんばかりにその方は毎日飲み歩いてらっしゃいます。だからこそ、私はその方と出会うことができました。普通の飲み仲間です。

 

そのご夫婦も私も、彼が誰よりも早いピッチでお酒を飲むことを止めませんし咎めません。彼が末期ガンでお酒を控えなきゃいけないことは周知の事実です。

 

それでも、そのご夫婦は頻繁に彼を飲みに誘います。自分たちが住んでる場所まで呼び出しちゃいます。

 

そして、そのことを彼自身はとても喜んでいます。

 

先日、いつものようにみんなで飲んでいて、お酒も深くなってきた頃、何の気なしに彼が言った言葉が忘れられません。

 

『こうして僕をバンバン連れ出して飲みに誘ってくれることに本当に感謝しています。ありがとうございます』

 

飲んでる時の会話はいつも、今度行きたい飲み屋があるんですよー!今度は僕の地元の方で飲みましょうよー!と、次はどこに飲みに行こうかって話が大半です。

 

彼は本当にお酒が大好きなんだろうなーって思いながら、そんな彼の生き方に自暴自棄加減は微塵も感じません。本当に日々を楽しんで過ごしているのが伝わります。彼の本当の心の奥底までは分からないけれど。

 

正論だけを振りかざすことが、必ずしも誰かを救うことになるわけではないと思うんです。

 

生きることに真面目すぎるから鬱になるんです。そして、死にたくなる病気なんです、鬱病は。

 

生きたくても生きれない人もいるんだよ!

なんて盲目的な表面的な言葉。ウンザリです。

 

自分のすぐ隣で泣いてる人がいるのに、その泣いてる人の横で世界平和を叫んでるくらい、滑稽に思えます。

 

宝くじが外れて悔しがってる人に対して、宝くじが買えない人だっているんだよ!って言ってみてほしい。

 

 

心を休める方法が分からない。

働きたくないと思うってことは、まだ働ける精神じゃないんだよって、鬱だった前の会社の社員さんに言われた。

 

人って今しか見えないから、今の自分の気持ちがいつ変わるのかなんて分からないから、働きたいと思える日が来ることが想像できない。

 

元気いっぱい毎日会社に行けてる自分が想像できない。

 

今の自分しか見えないから。

 

最近何度もリピートしてみてるYouTubeがあります。レペゼン地球のDJ社長の語り動画。

YouTube

 

人は今できないことで悩むけど、それは今のことしか見えないから。将来どうなってるかなんて誰にも分からないのに先のことを考えて不安になるんだ、それが悩みのメカニズムなんだって。

 

自分の気持ちとか、心の状態の良し悪しって人と比べれないし目に見えないし、今自分がどのレベルなのかって分からない。

 

進んでるのか後退してるのかって他人と比較するものでもないし、お金やスポーツの勝敗みたいに目に見えるものでもないし

 

今が未来に繋がってるんだってのはわかるけど、だから今が大事なんだって分かるけど、今の自分を見たときに、将来がとても不安ですよね、そうなると。

 

みんな、なにをどう思って生きてるんでしょう。

 

亡くなった人の分まで私は生きる!とか、発信してる方を見ると、すごいなぁって思います。そんな気力ないです。

 

自分のことだけでいっぱいいっぱいです、私は。

 

心のモヤモヤ

私の元々の性格もあるのか、なかなか精神が安定しません。

最近、心のモヤモヤが特にひどいです。

仕事辞めてから数ヶ月経過しますが、一向に働ける気がしません。

焦っちゃダメって言われても焦るよ。

気分の上がり下がりが激しくて自分で自分に疲れてしまいます。

休みがちになりながらも、それでもこの5年間それなりに働けてたのになぁ。

やめた瞬間に、もう二度と働きたくないって思っちゃってます。

私という人間について考えれば考えるほど、自分が嫌になってきます。

甘えなのかもしれない、私は元々ダメな人間なのかもしれない。それを彼のせいにしてるだけなのかもしれない。

毎日、心配も不安もなく過ごしたい、その欲が大きすぎて期待しすぎてるから辛くなるのかもしれません。求めすぎなのですかね。

心療内科の先生に、自分を休めてあげて、自分を褒めてあげてと言われても、白黒思考が強い私は、それってナルシズムになってしまうのでは。。と心配になります。

自己肯定とナルシズムの違いがわからず、自問自答する日々です。