自殺は究極の自己愛
何年ぶりだろう。今わたしは死にたくなっている。
自分が死んだ後の悲しむ家族の顔を思い浮かべることもない。
だって死んだら、誰が苦しもうが悲しもうが
わたしには見えない
自殺は究極の自己愛なのかもしれないと思った
夢に出てきた
彼の夢を見た。
何年ぶりだろう。
亡くなった時はとても頻繁に見ていた彼の夢。
いつからか、見なくなった。
久々に見た彼の夢
最初は穏やかに、何人かで一緒に外でバーベキューのようなものをしていた。
私はなぜか遅れて別の元彼と亡くなった彼が一人で食べてる場所に向かい、
遅くなってごめんね、一人にしてごめんねっていう。
彼と何かよくわからない冗談いじりをして、あはははって2人で笑ってる。
次の日、バタバタと大勢の何だか気持ちの悪い男たちが集まっていて
彼がクビを吊ったというようなことで騒いでる。
私はなぜかビニールで覆われた場所を掻い潜って彼に会いたい彼の姿を見せて!と、止められながら彼のもとへ
彼はなぜか口を塞がれ手を縛られ、死にそうになりながら何か乗り物に横になってる
私は彼のもとに駆け寄って
大丈夫だから!生きて!お願いだから!全部私が受け止めるから!
生きようと必死に訴えてる
彼は、お前は生きて、追いかけてきたりしないでみたいなことを言う
それに対して私が
嫌だ!もし死んだら私も死ぬから!全部私が受け止めるから!何があっても全部全部乗り越えていこう的なことをめちゃ叫ぶ。
そしたら彼が
勇気がないんだよ
と言った
そこで目が覚めた。
ものすごく何というか、すごく悲しく辛い気持ちになった。
でも、私がもし彼が生きてたなら伝えたかったことは、叫んでた気もする
うろ覚え
他人を救いたいなんて傲慢
田舎に帰ってきてあっという間に1年すぎた。
1年経っても、わたしはこの街の人たちが好きになれない。ほぼ全員嫌い。田舎者嫌い。
狭い価値観、他人への過剰な興味、、
井の中の蛙大海を知らずまみれな人種ばっか。
こんなこと言うと、都会ぶってーとか、
染まっちゃってーとか、
地元が一番だよー!とか、貶されるだけだから言わないけど。
でもさ、田舎で生まれ、田舎で育ち、田舎で生活してきて、ほか知らないのに、なぜここが一番だと言える??
ここの人たちがそう思うのと同じで
私も日本で生まれ、日本で育ち、日本でしか生活したことないからさ、
世界からみたら、私も狭い狭い価値観の中で生きてるんだろうなって思うけどね。
イライラしつつも、唯一の幸せは、大好きなおばあちゃんに会いにいけること。
こちらの友達といるより、おばあちゃんと話してる時が一番楽しくて、一番素でいられる。
おばあちゃんは、長く長く生きてきた人生の中で、戦争も経験して、兄弟を亡くし、長く連れ添った伴侶も亡くし、当時女性が働く世の中ではなかったろうに、都会に出て働いてた。
今、コロナでみんな騒いでるけど、おばあちゃんは怖がってるけど、戦争の方が怖いんじゃない?と、わたしは言う。
彼女が話す思い出話は、楽しかったこと、幸せだったこと、面白かったことばかり。
戦争の時の話も、わたしが聞かないと話さないけど、自分自身が苦しかった辛さや悲しみについては話さない。
田舎、、大した経験もしてないくせに、上から目線で人生語るやつ多すぎ。
お前らの価値観て、結婚子供が全てですかーって感じ。
人が悩んでたら、ダライラマの名言送りつけてくる始末。
ごめんね、わたし捻くれてるから、どんな偉人の名言聞いても全然響かねーわ。
彼がいなくなったあと、いろんな本を読みあさって、スピリチュアル系も自己啓発系もさらっと流しレベルで読んだけど、全然響かないの。
どんなに不器用な言葉でも、あなたの言葉で、あなたの経験で、綺麗事なしで話をすればいいだけなのに、なぜみんな綺麗事ばかり口から発するの?
こいつ嫌い、いなくなれ、とか、思ったこと一度もないわけ?
そんな綺麗事だけで人生うまく生きていけるような人間になれるならさ、
理想論だけで、苦しみや辛さや生きづらさから解放されるのならさ、
アンパ○マンだけ見てたら、みんないい子に育つし、みんな救われるやん。
そんな綺麗な言葉だけじゃ、救われない世の中なんだよーって教えるような幼児教育は必要ないの?ないか。
自死はダメです!絶対!ってさ、
なんで?
そこ堀りさげて教えてよ。
もし、死にたくなった場合の適切な回避方法教えてよ。
わたし今は死にたいと思わないけど
おばあちゃんいなくなったら、もうどうでもいいレベルでは思ってます。
HSP診断ってのやってみた。
わたし、それかも。
命日
5回目の命日、少し前。
毎年毎年その前後になると感情が爆発したり体調が悪くなったり色々と大変だった。命日反応というものらしい。過去形なのは、今年はそうでもなかったから。
でも、少し遅れてやってきたかもしれない。
今、眠れなくてブログを書いています。
眠れないとは言っても今までのような感じとはちがう。穏やかな気持ちで彼を思い出す。
心の中でつぶやいてしまった。
私はやっぱり彼のことが大好きだ。やっぱり彼がいい。そう思ってしまったら最後、久しぶりに涙が次から次へと溢れ出てきてしまって、電気をつけた。
でも、あれ?辛くない。苦しくもない。
ただ、愛しくて恋しくて仕方がない。
本当に大好きだった。本当に大切だった。今、その気持ちだけが残ってる、不思議な感覚です。
彼と過ごした日々が愛しくて愛しくて仕方がない。辛くなく苦しくなく、ただ温かな優しい気持ちだけがある。
彼を失ってから、こんな感情は初めてで、戸惑う。
これが、悲しみと寄り添いながら生きていく感覚なのかな。
私は、もう少しで彼より年上になる。
今の私が彼と出会ったとしても、また好きになると思う。5年の月日が経って、今の自分のまま当時の彼を思い出しても、やはりあの人は魅力的な人間だ。
賢すぎた。優しすぎた。
私は、彼のことが大好きだ。
世の中、もっともっと魅力的な人間はたくさんいるとは思う。
それでも私は、自死を選んだことも含めて、彼のことが大好きだ。
死んでなんかほしくなかった。生きてて欲しかった。けど、それは私の希望。
彼の選択は彼自身が下した決断である。
その決断は正しかったと思うことにする。
生きてれば必ず幸せになれるなんてそんな保証ないんだもん。
幸せは自分で決めるものだし。
彼は苦しみの中死んだのかもしれないけど、もしかしたら、彼の中での美学だったのかもしれない。
生きることに貪欲すぎるあまり、死を恐れながら日々年老いていくよりも、まだまだ若い年齢で、まだまだこれからという年齢で自分の人生に終止符を打った彼は、とてもとても無欲で純粋な人だったんだ。
歪んでると言われても私はそんな風に思った。
そんな彼のことが愛しい。
気持ちはまたコロコロ変わるのかな。
答えはわからないから。
ただ、今、そう感じたから、記録。
とても、温かくてやさしい気持ちで彼のことを考えて過ごせるこんな日が来るとは思ってなかった。
命日付近が毎年怖かった。
大きな声で叫びたいくらい、彼のことが愛しい。
こんな思いをするくらいなら、死ぬ前に嘘でも別れ話をしてほしかった!って、思ったりもしてきた。
今はこう思う。死ぬ間際まで、私の恋人でいてくれてありがとう。
遺書なんか残さないでよ!って、思ってた。
今は、私に言葉を残してくれてありがとうって思う。
一年一年、いろんな自分の感情と向き合う。いろんな人間の波が見える。あなたのおかげで、歳をとっていくことが楽しみになってきたよ。
田舎暮らし
地元に帰ってきて3ヶ月が経った。先月から仕事を始めた。今日は休みで、朝から祖母に会いに行った。休みの日はとにかく常に祖母の家にいる。大切な人がいなくなることを、必要以上に考えてしまうので、会いたい人には会える時に会っておきたいと思ってしまう。
そして、久しぶりに感情が爆発してしまった。抑えてたものが溢れ出したような感覚だった。
こちらに戻ってきてから、無意識的に色々と我慢していたようだ。
仕事は最初は週3のアルバイトからスタートしたのだが、もう少しシフトを増やせるかと問われ、ハイと答えたら週6になった。
私がなぜ、田舎にもどってきたのか、大好きな祖母との時間をたくさん作りたかったからだ。まさか、3から6になるとは思ってなかった。
それでも、一度イエスと言ってしまったから、覆すのが怖い。何のために田舎にもどってきたの?仕事をするため?違うよね。
仕事なんか一生できる。
祖母との時間は有限だ。
私にとっては仕事なんか生きるための手段であって目的ではない。
次のシフトは減らす。そう周りに伝えたらみんな、訝しげな顔をする。なんできちんと働かないの?と。都会ではそんな顔されなかったよ。
田舎にも、都会にも、メリットデメリット、合う合わないあると思う。
私は、田舎の自然が多くて、人の少ない環境は都会よりも合う。ただ、そこに住む人間は合わないのだと感じている。
言葉遣いがとにかく汚く冷たく感じてしまう。この方言で育ったはずなのに、なかなか慣れない。
会社は生活のためと割り切っているけれど、井の中の蛙でいばり散らしているような人が多い。方言のせいかもしれないけれど。
仕事は長く同じ場所に勤めてる人が素晴らしい。早くから結婚して子供を育ててる人が素晴らしい。もうこの価値観は絶対的なようだ。
祖母世代がその感覚ならばまだわかる。
私と同世代も年下も、全員が同じ価値観のように思える。
でも、きっと、この田舎にも違う価値観の人はどこかにいるはずだと思ってる。まだ出会えてないだけだと思っている。
祖母の前で号泣してしまった。
私は、田舎が嫌いだ。
私は、都会が嫌いだ。
環境変えても、どこにいても、私は文句ばかり。
結局、私は自分自身が嫌いなんだろう。
決断なんて適当でいい
今年、生まれて初めて、一人で新年を迎えた。
特に何をすることもなく、何の代わり映えもない中、新年が始まった。
新しい年が始まる度に、なにかを始めようと決める度に、今年こそは、今度こそはって思い続けてきた5年間だった。その思いが強ければ強いほど、年々落ち込みは激しくなっていっている気がする。
今月、私は高校卒業してからずっと過ごしてきた都会を離れ、田舎の地元に引っ越しをします。
そう決めたのは本当に思いつきだった。
戻ろうと思ったその日に引っ越し業者に電話をした。
そして、一番早く引っ越せる日に引っ越しの日を依頼した。
私は都会でしか働いたことがない。
田舎にツテやコネがあるわけでもない。
全くなにも考えず、自分の心の声だけに従ってみた。
今、戻りたい。そう思っただけだ。
だけれど、友達に報告をすれば、なぜ?と聞かれる。
そして私はみんなが納得するような理由を後付けで考えてそれを伝える。
はっきりとした理由なんかないんだけどね。
田舎に帰ろうが都会に留まろうが、私自身の問題だから。
どこに住もうが不安も不満も生まれるから。
高校を卒業してからずっと都会で、田舎暮らしなんて全く想像がつかない。その恐怖はある。
でも、みんな、多かれ少なかれ色々な決断をして人生を生きていると思う。
転職だって、結婚だって。うまくいかなかったときに、選ばなかった方の選択肢を頭に浮かべて後悔してみたり。
うまくいってたとしても、選ばなかった方の選択をしていたらどうなっていたんだろうって想像を馳せてみたり。
地元に帰る決断って私の中では別にそこまで大きな決断ではないように思う。
周りが、よく決心したね!とか、決断が早すぎるんじゃない!?とか、色々言うから、気になってきてしまう。
自信満々で選択決定をする人間なんているんですか?
彼がいなくなった後、私は自分の苦しみや辛さをどうにかしたくて、色々な方法を試してみたよ。
引っ越しをしたり、転職をしたり、新しく彼氏を作ってみたり、友達と遊び呆けてみたり、一人で家にこもってみたり、、
でもね、悲しみは癒えても、どんどん苦しみは増えてる。
それはなぜだろう。って考えたとき、結局、自分の思考回路は変わってないからなのかなと思った。
そりゃあ、確かに、転職先は最悪でした。新しい彼氏ともうまくいきませんでした。友達と遊んだって帰宅すれば孤独が増しました。
環境のせいだとも思ってる。
でも、誰かのせいや環境のせいにしたくても、心の底ではいつも、自分のせいなんだって思ってる。
そして、どんどんどんどん、苦しくなっていった。
そんな自分を断ち切りたい。
一人では無理。一人でそこまで持ってくのって、無理。
人生は自分次第だよ!っていう人がいる。でもそれは、今、うまくいっているからこそ言える、強い人間の考え方だと思う。
だって、どこにいたって、何をしてたって、虚しく孤独を感じてしまうのは、自分だけれど、正直、それは、自死遺族の特性みたいなもので、毎日日々を生きることがどれほど辛いことか、みんな分からないだけ。そして、それを治そうとしたって苦しくなるだけ。
自死遺族にとっては、今日も一日生きるってことが、人よりも少しだけ辛いんだよ。
でも、そこを治そうって頑張れば頑張るほど、苦しんだ。なんで私はダメな人間なんだって、自分を責めて責めて責め続けてしまった。
そうじゃなくて、もう、認めてしまおう。
そうなってしまった自分なんだなって、そんな自分を認めて、受け止めて、そこからスタート。じゃあどうしていけばいいんだろうって考えていくしかない。
私は、自分の心の声を大事にしたいって思ったから、その中で、地元に帰りたいなーって思ったからそうするだけ。
理由も根拠もない。田舎に戻ったってまた苦しくなるだけかもしれない。
でも、そんなの、考え出したら恐怖しかない。戻ってみないと分からないし。
もし苦しくなったらまた都会に出ればいいじゃんね。
なんでみんなそんなに理由を求めてくるの。そして、なんで私はそんな他人の目を気にしてしまっているんだろう。
みんな、適当なことを自分の思いのまま話してるだけ。私もそう。
特に意味なんてない。本当に理由を求めて聞いてきてるわけじゃない。
人生の目的とか目標って必ず見つけなきゃいけないのかな。何もなくただ毎日を、ただ、普通に、過ごしていけることが私の目標なんだけどね。
平凡に、普通に過ごしていけることがどれほど幸せなことなのか、みんな知らないから、目標を持て!とか、やりたいことを見つけたら人生変わるよ!とか言ってくるんかな。
ほんと、うるさいな、そんな日が来たら、そうするわい。
母の思い
私の母親は元々彼との付き合い自体に難色を示していた。そして結婚して私の地元に住むことを報告すると、やはり反対をした。
反対する理由はわたしからしてみれば大した問題ではなかった。
しかし、田舎の方や親世代の人たちからすると顔をしかめるような事柄ではあった。
それは十分に分かってはいたけれど、会ったこともない人を批判する親の神経を疑った。
今までにないくらいの大喧嘩をした。私が冷静に話をしていても親は聞く耳を持たない。
彼が亡くなったことを伝えたとき、親は親で自分を責めていた。私が結婚を反対したせいでごめんなさいと言った。ふざけるなと思った。今更遅いんだよと。
だけど、きっと、そんなことが理由じゃない、死にたくなるような気持ちになるのは色々な事柄が複合的に絡まって、心の中に渦巻いている状態だと思う。決定的にこれだ!ということは言えない。一生分からない。
けれど、引き金の一つにはなったのかもしれないとは自意識過剰ながら思う。だって、彼は田舎に逃げたかったのだ。私との結婚がどうこうではない。彼の逃げ道を1つ失わせてしまったことは目をそらせない1つの事実ではある。私はこれでもかと母親を責めた。母親を責めることで自分の心が軽くなったかというとそんなことはない。でも、そうするしか他なかった。
誰かを責めることで大切な自分の母親を責めることで、自分自身を傷つけることにもなる。
亡くなる月の2ヶ月後に、彼はわたしの親に挨拶に行くと言っていた。遺書にも、お母さんと喧嘩までさせてしまったのに挨拶に行けなくなったことに対して謝罪の言葉があった。
その一文は、わたしが自分を責めないようにと親を責めないように、それが原因ではないんだよという彼の思いだと受け取った。一生、答えは出ないけれど、わたしはそう思うことにした。
それでも私は今でも母親を避けている。
そんなこと彼は望んでないよとか、あなたが幸せになることを彼は望んでいるんだよ、などというような人たちは、薄っぺらい。
あなたたちに彼の何が分かるというのだ。
彼がそんな人間ではないことなんか、そんなことなんか、私が一番よく分かっている。
そうゆう問題じゃないんだよ。
彼が母親に挨拶に行くことさえ、私の母は拒否した。もう何も言わないからそちらで2人で幸せになってくださいと言ってきた。
まさか母親も彼が命を絶つなんて思わなかったろう。
彼は、反対されるのも仕方ないと思うよ、会ったことない得体が知れない人間だからそれは当たり前のことだよ。ちゃんと分かってもらえるよう話すからと言っていた。どんだけ優しいんだよ、、だけれどその裏側で、彼は自分の母親に相談をしていたようだ。それは、彼が亡くなった後、彼のお母さんから聞いた。
『あの子に、彼女の親に結婚を反対されてるって相談された時、私が娘を持つ親だったら私でも反対すると思うよと言ってしまったんだよ』そんな話をしてくれた。
反対だとか賛成だとか、正直わたしには関係なかった。彼とは一緒になるんだと思っていたし、彼に直接会えば母親は賛成するという自信があった。
私は子を持つ親の気持ちは分からない。母は母で苦しいと思う。辛いと思う。それは分かる。だけど、私の母の苦しみなんか彼の母の苦しみを思うと。比べるものではないことも分かってます。分かってるんです。
私を責めたっていいのに、彼のお母さんは、ごめんね、本当に馬鹿な息子でごめんねと言っていた。どんな思いで。どんな苦しみの中、そんな言葉を私にかけたことだろう。
私は子どもを持つことが怖い。どう育てたらいいか分からない。大切に育てた子どもが、彼のようになってしまったら、私のようになってしまったら、、
祖母の家に滞在する私に母親からメモが届いた。
『健康で、幸福でありますように』
お母さん、もう少しまっててください。もう少し時間をください。
責めてごめん。許せなくてごめん。
それだけあなたに甘えてしまっている自分でごめん。