命日
5回目の命日、少し前。
毎年毎年その前後になると感情が爆発したり体調が悪くなったり色々と大変だった。命日反応というものらしい。過去形なのは、今年はそうでもなかったから。
でも、少し遅れてやってきたかもしれない。
今、眠れなくてブログを書いています。
眠れないとは言っても今までのような感じとはちがう。穏やかな気持ちで彼を思い出す。
心の中でつぶやいてしまった。
私はやっぱり彼のことが大好きだ。やっぱり彼がいい。そう思ってしまったら最後、久しぶりに涙が次から次へと溢れ出てきてしまって、電気をつけた。
でも、あれ?辛くない。苦しくもない。
ただ、愛しくて恋しくて仕方がない。
本当に大好きだった。本当に大切だった。今、その気持ちだけが残ってる、不思議な感覚です。
彼と過ごした日々が愛しくて愛しくて仕方がない。辛くなく苦しくなく、ただ温かな優しい気持ちだけがある。
彼を失ってから、こんな感情は初めてで、戸惑う。
これが、悲しみと寄り添いながら生きていく感覚なのかな。
私は、もう少しで彼より年上になる。
今の私が彼と出会ったとしても、また好きになると思う。5年の月日が経って、今の自分のまま当時の彼を思い出しても、やはりあの人は魅力的な人間だ。
賢すぎた。優しすぎた。
私は、彼のことが大好きだ。
世の中、もっともっと魅力的な人間はたくさんいるとは思う。
それでも私は、自死を選んだことも含めて、彼のことが大好きだ。
死んでなんかほしくなかった。生きてて欲しかった。けど、それは私の希望。
彼の選択は彼自身が下した決断である。
その決断は正しかったと思うことにする。
生きてれば必ず幸せになれるなんてそんな保証ないんだもん。
幸せは自分で決めるものだし。
彼は苦しみの中死んだのかもしれないけど、もしかしたら、彼の中での美学だったのかもしれない。
生きることに貪欲すぎるあまり、死を恐れながら日々年老いていくよりも、まだまだ若い年齢で、まだまだこれからという年齢で自分の人生に終止符を打った彼は、とてもとても無欲で純粋な人だったんだ。
歪んでると言われても私はそんな風に思った。
そんな彼のことが愛しい。
気持ちはまたコロコロ変わるのかな。
答えはわからないから。
ただ、今、そう感じたから、記録。
とても、温かくてやさしい気持ちで彼のことを考えて過ごせるこんな日が来るとは思ってなかった。
命日付近が毎年怖かった。
大きな声で叫びたいくらい、彼のことが愛しい。
こんな思いをするくらいなら、死ぬ前に嘘でも別れ話をしてほしかった!って、思ったりもしてきた。
今はこう思う。死ぬ間際まで、私の恋人でいてくれてありがとう。
遺書なんか残さないでよ!って、思ってた。
今は、私に言葉を残してくれてありがとうって思う。
一年一年、いろんな自分の感情と向き合う。いろんな人間の波が見える。あなたのおかげで、歳をとっていくことが楽しみになってきたよ。