分かり合うって難しい
今改めて考えてみると、私って彼のことを何も知らなかったんだなぁって思います。
いなくなってから知った事実がたくさんありすぎて。
生きてる人だって、どれだけ会話を重ねても分からないことってたくさんありますよね。側にいるからって、全てを晒け出せる相手ってなかなかいないよなぁって思うから、いいんですけどね。
なんなら、私は自分のことさえよく分ってないです。
理解してもらおうなんてエゴですよね
理解してあげようなんて傲慢ですよね
分かってるけど、やっぱり私は理解してもらいたかったり、理解してあげたかったりしてしまうんですよね。
他人との関わりの中で、完璧に、完全に、相手と自分が分かり合えることなんて、例え生きてても無理だと思う。
死んだ人なんて余計に分からなくて当たり前ですよね。
でも考えてしまう。彼は、どんな人間だったんだろうって。
5年間一緒にいたけど、たった5年だもん。私は彼の表面的な部分しか見てなかったのかなって思うと、ごめんなさいって、思う。
だって、私は彼の嫌なところなんてなかったから。周りから見ればマイナスになるような彼の一面も、全部が愛おしかったし、全部含めて大切な彼の一部だった。
喧嘩なんか、したことなかった。
私が何をしたって、彼は怒ったことなんてなかった。嫌な顔することもなかった。いつも全部全部、受け止めてくれてた。
彼に対してだけはどんな時でも素直な自分で、自然体な自分で、強がることも疑うことも不安になることもなく、ただただ、穏やかな気持ちで過ごせてた。
熱烈に大好き!という感情もなかったけど、ただただ、一緒にいる空間が本当に幸せだった。
そう思えば思うほど私は彼に何かを与えることができてたんだろうかと苦しくなる。
気づくことができなかった自分を責めて、彼の生きる希望にはなれなかったんだな、なんて傲慢なこと考えて。
私と彼は正反対みたいな人間に見えて、根本的には似てたのかもしれないって思ったりもする。
私が一時期、トラウマを抱えて心を病んでしまった友達からの連絡に悩んでたとき、彼に言われたことがある。
『君は、他人のマイナスの感情を受け止めすぎて、自分に取り込んでしまう。だから、そうゆう人間とは関わっちゃダメ。君の方が病んでしまう。一生面倒を見るくらいの覚悟がないのであれば、その友達とは縁を切ってほしい。』それが、私の言動を一度も否定したことがなかった彼が唯一、私の行動を制限した時だった。
私は、自分以上に自分という人間を理解して守ってくれる人を失ったんだなって思う。