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怒りの感情が溢れ出す

悲しみとの向き合い方やその表現方法は本当に人それぞれだと思います。

どうか、泣きたい時は思い切り泣いてください。叫びたい時は叫んでください。誰とも話したくないと思ったなら話さなくてもいいんです。辛い、苦しい、助けて!って叫んでいいんです。

無理に笑おうとしたり、無理に外に出ようとしたり、無理に何かをしなくていいんです。

私は周りに話をし続けていましたが、それも最初の頃だけで今度は一気に気力を失い人と話したくなくなる時期が訪れました。

大丈夫?どうしてる?ご飯食べてる?眠れてる?心配してかけてくれる言葉も、自分から発信していたくせに急に煩わしく感じたりして、大丈夫!もう元気だよ!と、今度は元気なふりをしなくてはいけなくなりました。心配させたのは自分なのに心配させてることにさえ罪悪感を感じるようになったのです。だから、もう平気なふりをしました。誰かに心配してもらえる価値なんて私にはないんだと。

無理に悲しみを消そうとしました。消えたような気もしていました。そうすると私の心はどうなったか。

全ての感情は怒りに変換されていきました。それはもう、ありとあらゆることに怒りを感じていました。

道を歩いている他人の髪の毛を引きちぎりたくなるような強い強い怒りの感情が私を支配していきます。

でもその感情を何もなく外に出すことは許されません。だから、私はお酒に逃げました。最低なのはわかっています。お酒を飲むと感情は何倍にも膨れ上がります。大きな声で叫んで暴れて感情を解放していました。友達の経営する小さなバーで大声で泣き喚きながら、あんた達に私の何がわかるんだよ!もう死にたい!ふざけるな!なんで私がこんな思いをしなきゃいけないんだよ!!

本当に、最低です。でも、その時はもう何がどうなってもいい、全員に嫌われたっていい、殺されたっていい、みんなに好かれたからって、彼が生き返るわけじゃない。

むしろ全員、私のことを憎んで欲しい、とさえ思っていました。

だって、私のことを大切だと思う人が一人もいなくなったら、私は彼の元へ逝けるんです。

彼と同じ方法で。

立ち直り日々を幸せに生きていく未来なんて欲しくないんです、そうなることは許されないんです。そう本気で思っていました。

大切な人を自死という形で失った人間。

私が彼と同じことをすれば、私を大切だと思っている家族や友人は第2の私、第3の私になります。だからこそ、私は全員に憎まれ、蔑まれることが必要でした。私を大切だと思ってくれてる人ほど辛い思いをするのなら、誰からも大切だと思われない自分になる。そうすれば私は誰のことも傷つけることなく彼の元にいけるんだ。そんな思考回路でした。

自死遺族の感情として怒りが現れる段階があることはグリーフケアの流れとして書かれていました。心理のサイトには、怒りは二次感情であり、その奥に一次感情がある、怒りは感情の蓋であると書かれていました。それを読んでいたにも関わらず、私の思考回路は崩壊していました。

そして、そんな思考回路の中でさえ、怒りを発散した次の瞬間には今度は強烈な罪悪感と自己嫌悪に苛まれます。わたしは自分で自分を苦しめ、自分自身を精神的に追い詰めたかったのかもしれません。

悲しみは消そうとしても心の底にずっとずっとあるんですよね。