自死と寿命
ふと、思うのです。
なぜ、私は彼の思い出話ができないんだろうなって。
自死だから?
今ある現実はどれだけ嘆いても後悔しても自分を傷つけても他人を傷つけても消せない事実です。
私は彼を失う前に祖父を寿命で亡くしています。
祖父の話は家族間でも未だに思い出話として、時には談笑しながらでも会話するのに、なぜ、彼のことは誰も口に出さないのでしょう。
私は彼の話をしたいです。思い出話もしたいんです。だから、未だにふと会話の中で彼はこう言ってたんだよねー、とか、ここ、彼と来たことあるよーとか、何の気なしに口にしてしまうことがあります。
そうすると、みんな黙り込みます。
当たり前なんでしょうか。
なぜ、彼の愛おしい話をしてはいけないんだろうって思います。そしてそれがものすごく苦しくて辛いです。
祖父と彼は違うんでしょうか。そんなにも自死という亡くなり方は忌み嫌われるものなのでしょうか。鬱は病気です、病気の中でも彼が下した決断だと今は受け取っています。死にたくて死んだわけじゃない、と言われると、胸が締め付けられ心臓が止まりそうな気持ちになります。答えを知るのは彼だけです。誰にもわからないのに、絶対に答えは出ないのに。考えてしまいます。
自殺は止められますとか、自殺予防とか自殺の兆候とか、色々なサイトに書いてありますが、それを見るたび苦しくなるんです。
きっと、そのサイトに行き着く人たちって自死遺族の方も多かったりすると思うんです。私がそうでしたから。
予防できたのに助けてあげれなかった、SOSに気づけたはずなのに気づいてあげれなかったって、私はそう思ってしまいました。
気づけないんです、だってついさっきまで隣で笑いあってたんです。
気づけたとして、何をどうしてあげれば止めることができたのでしょうか。。