https://www.mamez.site/entry/2018/11/08/192104

発信するということ

私はもともと感情型というか、喜怒哀楽がハッキリしている性格です。

色々な方のブログや本を読みながら、私と同じだと感じることもあれば、私とは違うなぁって感じて不安になることが多くありました。

その中で、文献は忘れましたがグリーフケアのサイトか何かに自死で大切な人を亡くされた方はそれを隠そうとする。誰にも言えず苦しむ。というようなことを書かれているものが多くありました。

ただ、私の場合は違いました。私は自ら発信していました。何年も連絡を取ってない知り合いにも夜な夜な電話をかけ、自分の状況をとにかくいろんな人に話し続けていました。同じ話を何度も何度も。

  • 死にたくなったことありますか?
  • それはどんな時ですか?
  • どう乗り越えましたか?
  • 彼の気持ちがわかりますか?
  • 私のことを本当に愛していたと思いますか?

とにかく彼の気持ちが知りたかったのと、自分の存在が全否定されたような気持ちを、その自尊心を埋めるためなのか、わかりません。

自分がこれから先どう生きていけばいいのかわかりませんでした。考えが二転三転する毎日です。

自死遺族は自死のことを話したがらないと書いてある、、自分はおかしいのではないか、こんな自分だから、彼の苦しみにも気づいてあげれなかったのではないか。。

自分を責めながら自分を守って。。

悲しみとの向き合い方、表現方法は人それぞれ違います。そこに正解も不正解もありません。私が発信することで周りの人が困るとか、そんな話聞きたくないだろうとか、そんなこと、考えてもいませんでした。それがその時の私のリアルです。

でも、やっぱり言わなければよかったなって思うことはたくさんありました。

言えば言うほど、自分が傷つくことになるリスクが高まった気がします。

はじめは親身に聞いてくれてても、毎日言うことが変わる私に呆れて離れていった友達もいました。

それでも私は話し続けましたし、今もこうして発信しています。発信してもしなくても苦しいものは苦しいと思います。

もうそれが、私の性格なんだと思います。

共感されれば、何がわかるんだと怒り、理解してもらえなければ、誰も分かってくれないと嘆く。そんな自己中心的な人間でした。

ただ、当時の私と似た人を見つけると少しだけ気が楽になったりしていました。

自分も自死で大切な人を亡くした経験があると、話してくれた友達もいました。

自分だけで抱え込んで向きあってる人を目の当たりにしつつ、私にはそれができませんでした。

今も、支離滅裂で矛盾まみれです。色々な矛盾を抱えながら生きているのが今現在の私です。

自分で自分を殺める行為を、否定も肯定もできないのです。