決断なんて適当でいい
今年、生まれて初めて、一人で新年を迎えた。
特に何をすることもなく、何の代わり映えもない中、新年が始まった。
新しい年が始まる度に、なにかを始めようと決める度に、今年こそは、今度こそはって思い続けてきた5年間だった。その思いが強ければ強いほど、年々落ち込みは激しくなっていっている気がする。
今月、私は高校卒業してからずっと過ごしてきた都会を離れ、田舎の地元に引っ越しをします。
そう決めたのは本当に思いつきだった。
戻ろうと思ったその日に引っ越し業者に電話をした。
そして、一番早く引っ越せる日に引っ越しの日を依頼した。
私は都会でしか働いたことがない。
田舎にツテやコネがあるわけでもない。
全くなにも考えず、自分の心の声だけに従ってみた。
今、戻りたい。そう思っただけだ。
だけれど、友達に報告をすれば、なぜ?と聞かれる。
そして私はみんなが納得するような理由を後付けで考えてそれを伝える。
はっきりとした理由なんかないんだけどね。
田舎に帰ろうが都会に留まろうが、私自身の問題だから。
どこに住もうが不安も不満も生まれるから。
高校を卒業してからずっと都会で、田舎暮らしなんて全く想像がつかない。その恐怖はある。
でも、みんな、多かれ少なかれ色々な決断をして人生を生きていると思う。
転職だって、結婚だって。うまくいかなかったときに、選ばなかった方の選択肢を頭に浮かべて後悔してみたり。
うまくいってたとしても、選ばなかった方の選択をしていたらどうなっていたんだろうって想像を馳せてみたり。
地元に帰る決断って私の中では別にそこまで大きな決断ではないように思う。
周りが、よく決心したね!とか、決断が早すぎるんじゃない!?とか、色々言うから、気になってきてしまう。
自信満々で選択決定をする人間なんているんですか?
彼がいなくなった後、私は自分の苦しみや辛さをどうにかしたくて、色々な方法を試してみたよ。
引っ越しをしたり、転職をしたり、新しく彼氏を作ってみたり、友達と遊び呆けてみたり、一人で家にこもってみたり、、
でもね、悲しみは癒えても、どんどん苦しみは増えてる。
それはなぜだろう。って考えたとき、結局、自分の思考回路は変わってないからなのかなと思った。
そりゃあ、確かに、転職先は最悪でした。新しい彼氏ともうまくいきませんでした。友達と遊んだって帰宅すれば孤独が増しました。
環境のせいだとも思ってる。
でも、誰かのせいや環境のせいにしたくても、心の底ではいつも、自分のせいなんだって思ってる。
そして、どんどんどんどん、苦しくなっていった。
そんな自分を断ち切りたい。
一人では無理。一人でそこまで持ってくのって、無理。
人生は自分次第だよ!っていう人がいる。でもそれは、今、うまくいっているからこそ言える、強い人間の考え方だと思う。
だって、どこにいたって、何をしてたって、虚しく孤独を感じてしまうのは、自分だけれど、正直、それは、自死遺族の特性みたいなもので、毎日日々を生きることがどれほど辛いことか、みんな分からないだけ。そして、それを治そうとしたって苦しくなるだけ。
自死遺族にとっては、今日も一日生きるってことが、人よりも少しだけ辛いんだよ。
でも、そこを治そうって頑張れば頑張るほど、苦しんだ。なんで私はダメな人間なんだって、自分を責めて責めて責め続けてしまった。
そうじゃなくて、もう、認めてしまおう。
そうなってしまった自分なんだなって、そんな自分を認めて、受け止めて、そこからスタート。じゃあどうしていけばいいんだろうって考えていくしかない。
私は、自分の心の声を大事にしたいって思ったから、その中で、地元に帰りたいなーって思ったからそうするだけ。
理由も根拠もない。田舎に戻ったってまた苦しくなるだけかもしれない。
でも、そんなの、考え出したら恐怖しかない。戻ってみないと分からないし。
もし苦しくなったらまた都会に出ればいいじゃんね。
なんでみんなそんなに理由を求めてくるの。そして、なんで私はそんな他人の目を気にしてしまっているんだろう。
みんな、適当なことを自分の思いのまま話してるだけ。私もそう。
特に意味なんてない。本当に理由を求めて聞いてきてるわけじゃない。
人生の目的とか目標って必ず見つけなきゃいけないのかな。何もなくただ毎日を、ただ、普通に、過ごしていけることが私の目標なんだけどね。
平凡に、普通に過ごしていけることがどれほど幸せなことなのか、みんな知らないから、目標を持て!とか、やりたいことを見つけたら人生変わるよ!とか言ってくるんかな。
ほんと、うるさいな、そんな日が来たら、そうするわい。